この広告、メッセージは90日以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事でこのメッセージが消せます。
  

Posted by あしたさぬき.JP at

2014年05月23日

第6回「私の町はみんなが家族」開催

かがわニュースB O X

高齢者とともに生きる地域づくりを考える
第6回「私の町はみんなが家族」開催

特別養護老人ホームなどを展開する守里会が6月29日(日)に高松市牟礼町の県立保健医療大学で、高齢者が安心して暮らせる地域づくりを目指す講演会を行います。
 午前9時半からはセミナー、同10時半からは①認知症予防②自立支援③認知症介護④就労支援⑤保育⑥教育―の6テーマに分かれて分科会を実施します。午後1時半からは「地域と共に生きる」と題したシンポジウムで、香川大学医学部精神神経医学講座の中村祐教授を座長に迎え、認知症を発症した本人や家族、行政、介護支援者などさまざまな立場からの意見や取り組みを発表します。
 参加希望者は、氏名、住所、電話番号、希望の分科会、軽食(200円)・送迎(JR高松駅またはことでん瓦町駅)の有無を明記し、FAX〈087(813)0832〉またはEメール〈kouenkai@syurikai.com〉まで。同会の各施設に持参しても構いません。参加無料。
 問い合わせは実行委員会〈☎087(813)0778〉


  

Posted by syuri at 00:00Comments(0)教育編介護編

2014年05月20日

「連れて帰ってくれ」

「連れて帰ってくれ」

~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~

 デイサービスに来ているキクさん。脳梗塞で倒れて以来、認知症の症状がみられる。今日は「連れて帰ってくれ。」と言って車椅子を自走させ玄関までやってきた。職員が話を聞いても「家の事が気になる。」と言ってソワソワした様子。
 ある職員は、「それじゃあ、キクさん行きましょう。」とデイサービスの送迎車で周辺を回って施設へ帰ってきた。すると、キクさんは「嘘つきがっ!家と違うじゃないか!!」と。「早く家へ連れって行ってくれ。」と言うキクさんに、申し訳なく思った私は、キクさんと一緒に2㎞ほど離れたキクさんの家へ行った。
 家に着くと旦那のシゲルさんが「何か、忘れ物か?」と言いながら出て来てくれた。キクさんは「忘れ物も何も、あんたに御飯食べさせるの忘れとるやないの。」と言う。「心配せんでええ。自分で食べたから。」とシゲルさんが答えると「それなら安心した。あんたが家におると気が気でないわ。ゆっくり、遊びにも行かれやしません。ブツブツ…」と言いながら再びデイサービスへ。
 「帰りたい。」と言うことが正しいかどうかはともかく、その人の意思には違いない。それを、認知症だからと、適当な理由(嘘)で簡単に片づけてしまって良いのか。人は“嘘”か“真”かが顔に出ると言う。私でも“嘘”と顔に書いてある人はすぐに解る。病気をしていようが、歳を取っていようが、それは相手に伝わってしまうのだ。認知症の人は決して子供ではない。



  

Posted by syuri at 00:00Comments(0)介護編

2014年05月02日

「イメージ」

「イメージ」

~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~

 誰かの役に立ちたい。そう思って仕事をしている人は多いと思う。介護をしている私たちにとって「誰かの」という誰とは、利用者や入居者の方々になるだろうか。
 私たちは、目の前の利用者の生活を豊かにするにはどうすれば良いか、そんなことを考えながら、日々利用者と関わっている。「こうすれば良いかな。」「もっとこうしよう。」「いや、こっちのほうが良いだろう。」その結果として、利用者の生活が豊かになることを喜びとしている部分がある。
 しかし、それは様々な紆余曲折を経なければ辿り着くことのできない境地だ。例えば、職員が白と思っていても利用者は黒と思っていたり、職員が右と言っても、利用者は左だと言う。要は利用者が職員のイメージ通りには気持も身体も動かないということ。でも、それが当り前なのかもしれない。人生経験の少ない青二才の職員が、激動の時代を生き抜いた強者の利用者に敵うわけもない。でも、職員のイメージの先をいく利用者を見ていると、職員の思い通りに豊かな生活を維持している利用者を見ているより、嬉しくなってくる。
 「誰かの役に立つ」とは、本当はとても困難だ。自分の思い通りに利用者の気持ちや身体を動かすのではなく、職員のイメージの遥か先をいく利用者のイメージ、それを大切にしながら生活を形成する手伝いをする。そんな気概が必要だと知らされた。


  

Posted by syuri at 00:00Comments(0)介護編