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Posted by あしたさぬき.JP at

2015年09月25日

「神発言」

「神発言」

~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~

「元気でおらないかんねぇ。」
「そうですねぇ。」
「みんなに迷惑をかけるもんねぇ。」
「そんなことないですよぉ。」
「私一人で暮らしてるし、何かあったらみんなに助けてもらわないかんしねぇ。だからいつまでも元気でおらないかんのよ。」
「…。」
 助けてもらわなくても良いように元気で居続けるのではなく、私を助けることでみんな、元気でいられるでしょ、って…脱帽です。
 自分の為にリハビリしたり、怪我が怖くて閉じこもってしまったり、いろんな人を見てきたけれど、こんなおばあちゃん初めて。確かにこの考え方なら自分も元気でいられるし、周りの人も元気でいられる。共助・互助の極み。なんか素敵だ。なんか嬉しい。


  

Posted by syuri at 22:04Comments(0)介護編

2015年09月18日

「『〇〇したい』という気持ち」

「『〇〇したい』という気持ち」

~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~

 私には母が二人いる。いわゆる生みの親と育ての親。といってもご飯を食べさせたり、おむつを替えてくれたという意味での育ての親とは少し違う。日本の伝統芸を得意としている私に、小さい頃からその芸のみならず色んな事を教えてくれたという意味での育ての親だ。出会った頃もう既に人生の半分は終わっていただろうから、今は少し小さくなった。けれど気持ちは大きい。
 その育ての母にまつわる嬉しい話をここで一つ。思うように体は動かなくなってきたけれど、自分の足跡を残すためか、その伝統芸の譜をせっせと書き残しているという。譜とは音楽でいう譜面のようなもの。譜を見れば誰もが理解でき、一人ででも練習することができるという代物。ただ、この譜、とても複雑で書くのに恐ろしく手間がかかる。何百もある題目を一つひとつ丁寧に書き記していくのは、若い私でもご遠慮願いたい。「書く」という作業はもとより記憶を掘り起こしながらメガネをかけ、せっせと書き記す姿はまさに仙人。100歳の祝いが仙寿といわれているのも何だか納得させられる。
 高齢になると出来ないことが増え、役割を持って暮らすことが難しくなるという。けれど自分が大切にしてきたことを守り続けたい、伝えたい、という「〇〇したい」という気持ちが、その役割そのものとなり、元気を保つ秘訣となるのだ。それは決して強制ではなく、ましてやみんな同一でもない。さあ、私も頑張ろう。まだまだ先は長いんだ。


  

Posted by syuri at 09:31Comments(0)介護編

2015年09月11日

「so happy」

「so happy」

~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~

 ちっちゃな女の子が一生懸命あっちの方向を指さしている。壁ガラスの向こうに座る女性も同じ方向を指さしている。椅子に座った女性に丁度目線を合わすかのように女の子は立ち、一生懸命何かを訴えているのだが、二人は見えない透明ガラスに邪魔されて、相手が何を言っているのか全く分からない。そんな二人を気遣うようにそっと腰をかがめて若い女性が声を掛けている。「あっち、あっち、こっちに来るにはあっちからぐるっと回るんだよ」「こっちにおいでよ」そんな三人の会話が今にも聞こえてきそうな1枚の写真。それはある高齢者介護施設の廊下での一コマ。そこに住むおばあちゃんと隣の保育所の女の子、3階で学ぶ学生、生きてきた歳月も環境も色んな事が全く違う三人でも、この時は同じ何かを共有している。
 昔のように家に帰るとおばあちゃんが居て、兄弟も多くて、お正月には親戚みんな集まって、って時代ではなくなってきたけれど、お母さんが教えてくれるみたいにおにぎりの握り方を教えてくれるおばあちゃんが居る。お父さんとキャッチボールしたようにお手玉で遊んでくれるおじいちゃんが居る。特別なイベントではないけれど、何気なく過ぎていく時間の中で、楽しかったり不思議だったり、怖かったり悲しかったり、そんな気持ちをお互いに交換しながら暮らしていける。それが何よりの幸せなんだと思う。



  

Posted by syuri at 18:06Comments(0)介護編

2015年09月07日

「8月11日 山の日」

「8月11日 山の日」

~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~

静岡県富士宮市の認知症支援者グループとともに、富士登山へ。
山頂を目指し、五合目からのスタート。
とはいえ、山頂が見えないではないか。
もはや、周囲の景観に目を配るゆとりもなく、眼下の岩肌を歩むことに。
道中、すれ違う登山者の方々に励まされ、無事、宿泊予定の山小屋に。
さてここで一考。
遠足気分で、5合目まで、はたまた、登山のスタートをすることのできる富士山であるが、そこは、3776mの山でもある。
高山病については、よく論じられることであるが、今回、感じたのは日頃の野外における運動習慣である。
長時間の遮ることのない熱い陽射しを受け、高地へと辿り着く以前に体力を消耗する姿が多く見受けられた。
直前の恵まれた環境における散歩程度では、不十分なことは明白である。
ここでも、子どものころからの外遊びの習慣をはじめとして、常からの野外活動の有無が大きく左右されるものであろう。
費用をかければ、たやすく、娯楽の手に入る世の中ではあるが、じっくり自然と向き合うもよし。
秋の始まり、何かはじめてみよう。



  

Posted by syuri at 18:11Comments(0)健康新聞

2015年09月04日

「島の住民、み~んな家族」

「島の住民、み~んな家族」

~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~

 この春からお付き合いが始まったご夫婦がいる。ご夫婦ともに介護が必要な状態でご主人は支えがないと歩くことも儘ならない。何か月か前に体調を崩し入院して以来、自宅には帰らず介護施設で暮らしてこられた。ご夫婦の自宅は瀬戸内海に浮かぶ人口200人余りの小さな島。この島での何十年かの暮らしはご夫婦にとって想い出深く、かけがえのないものに違いない。
 まだ寒い時期、「一度でもいいから島に帰してあげたい」と言う娘さんの言葉からそのご夫婦の在宅生活復帰の計画が立てられた。医療はどうか、自宅は大丈夫か、など色々段取り、少しの時間の帰宅から始め、今では自宅で寝泊まりもできるようになった。自宅で寝泊まりって当たり前じゃない、と思う人もいるかもしれないが、本当に二人にとっては難しく特別な事だった。そんな特別な事が当たり前になったのはご近所さんたちのおかげだった。自宅に帰ると大きな声で「帰ったんな」と挨拶しながら夕飯のおかずを差し入れてくれる。買い物に出かけると以前のように賑やかに話しかけてくれる。時には「もっと元気になりまいよ」と勇気づけてもくれる。そんな皆さんのおかげで二人は以前より明るくなった。
 島での暮らしはとっても素敵。少ないからこそ生まれるつながりは、きっと自然なことで、本物なんだな、と気づかせてくれた。


  

Posted by syuri at 17:01Comments(0)介護編