2013年03月26日
「タカコさんの教え」
「タカコさんの教え」
~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~
タカコさんはデイサービスに来る際に自分の箸を持参する。かれこれ30年近く使っているらしいその箸は、木製で長い年月使われた為に通常の箸の半分くらいの長さになっている。そして、持ち手のところは指の形に合わせて絶妙にすり減っている。
そんなタカコさんを周りの皆は本当に尊敬している。一つの物に対する執着の心。これは即ち物を大切にする心と同じだと皆が言う。それに倣うようにキョウコさんとキミコさんが自分の箸を持ってくるようになった。それを嬉しそうに見ていたタカコさんが物を大切にする極意を教えてくれた。
「つくも神」というのをご存じだろうか?「つくも」は「九十九」と書き、「長い時間(九十九年)」「多くの物(九十九種類)」などを意味する。また「九十九髪」と書くこともあるという。「髪」は「白髪」に通じていて、同じように長い時間を意味し、「様々な物が長い時間や経験を経て神に至る物(者)」のような意味を表すんだとか。そう、全ての物には神が宿っている。“神さんを簡単には捨てられない”というのがタカコさんの持論で極意のようだ。
昨日、食後にタカコさんの箸を一緒に洗っていると、持ち手の所に、消えかけてはいたが「サダオ」と彫られていることに気が付いた。「サダオ」とは亡くなったタカコさんのご主人。どうやら、この箸に宿っている神さんはサダオさんのようで。それを知った私は、父からもらって壊れたままにしていたカメラを修理し、いつまでも大切に使おうと思った。
~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~
タカコさんはデイサービスに来る際に自分の箸を持参する。かれこれ30年近く使っているらしいその箸は、木製で長い年月使われた為に通常の箸の半分くらいの長さになっている。そして、持ち手のところは指の形に合わせて絶妙にすり減っている。
そんなタカコさんを周りの皆は本当に尊敬している。一つの物に対する執着の心。これは即ち物を大切にする心と同じだと皆が言う。それに倣うようにキョウコさんとキミコさんが自分の箸を持ってくるようになった。それを嬉しそうに見ていたタカコさんが物を大切にする極意を教えてくれた。
「つくも神」というのをご存じだろうか?「つくも」は「九十九」と書き、「長い時間(九十九年)」「多くの物(九十九種類)」などを意味する。また「九十九髪」と書くこともあるという。「髪」は「白髪」に通じていて、同じように長い時間を意味し、「様々な物が長い時間や経験を経て神に至る物(者)」のような意味を表すんだとか。そう、全ての物には神が宿っている。“神さんを簡単には捨てられない”というのがタカコさんの持論で極意のようだ。
昨日、食後にタカコさんの箸を一緒に洗っていると、持ち手の所に、消えかけてはいたが「サダオ」と彫られていることに気が付いた。「サダオ」とは亡くなったタカコさんのご主人。どうやら、この箸に宿っている神さんはサダオさんのようで。それを知った私は、父からもらって壊れたままにしていたカメラを修理し、いつまでも大切に使おうと思った。
2013年03月19日
2013年03月12日
手は口ほどにものを言う
手は口ほどにものを言う
~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~
マユミさんは認知症で、見当識に障害があり、相手を認識することが苦手なのかと思うことがしばしばあった。先日、マユミさん(50)とその御主人(51)と私(60)と20歳代の若者二人の5人で遠出をすることになった。その中で、素敵な出来事がたくさんあったので、その一つを紹介したい。
5人で歩いて、とある駅の階段に差し掛かったときの事。マユミさんは迷うことなく私の手を引いて一緒に階段を上ってくれた。「大丈夫?」と私をリードしてくれるマユミさんの手はとても優しく頼もしかった。階段を上りきると、今度は御主人と腕を組んで歩き出した。御主人の腕にそっと寄り添って歩く姿がとても微笑ましかった。
マユミさんは相手を認識することが苦手だとばかり思っていた。でも、それは、こっちの勝手な思い込みだったのだ。20歳代の二人はさておき、御主人と私なら見た目はそう変わらないよ、きっと。それでも、5人の中で、自分より年配者が私だと即座に見抜くマユミさんの眼力と、私と御主人で変化させた手の使い方。それはしっかりと相手を認識している証拠だろう。
誰かを気遣う手、誰かを助ける手、誰かに頼りたいときの手、ちょっと甘えたいときの手。そのときの気分や状況や相手によって様々な動きを見せるマユミさんの手。それを見ているうちに、マユミさんも何ら変わらない一人の女性なのだと感じた。見当識障害なんて軽々しく言うものではないな。
~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~
マユミさんは認知症で、見当識に障害があり、相手を認識することが苦手なのかと思うことがしばしばあった。先日、マユミさん(50)とその御主人(51)と私(60)と20歳代の若者二人の5人で遠出をすることになった。その中で、素敵な出来事がたくさんあったので、その一つを紹介したい。
5人で歩いて、とある駅の階段に差し掛かったときの事。マユミさんは迷うことなく私の手を引いて一緒に階段を上ってくれた。「大丈夫?」と私をリードしてくれるマユミさんの手はとても優しく頼もしかった。階段を上りきると、今度は御主人と腕を組んで歩き出した。御主人の腕にそっと寄り添って歩く姿がとても微笑ましかった。
マユミさんは相手を認識することが苦手だとばかり思っていた。でも、それは、こっちの勝手な思い込みだったのだ。20歳代の二人はさておき、御主人と私なら見た目はそう変わらないよ、きっと。それでも、5人の中で、自分より年配者が私だと即座に見抜くマユミさんの眼力と、私と御主人で変化させた手の使い方。それはしっかりと相手を認識している証拠だろう。
誰かを気遣う手、誰かを助ける手、誰かに頼りたいときの手、ちょっと甘えたいときの手。そのときの気分や状況や相手によって様々な動きを見せるマユミさんの手。それを見ているうちに、マユミさんも何ら変わらない一人の女性なのだと感じた。見当識障害なんて軽々しく言うものではないな。