2014年03月27日
「誰の前でなら服を脱げますか?」
「誰の前でなら服を脱げますか?」
~心に積み重なる様々な出来事を このコラムに寄せて~
先日からショートステイを利用されているトシ子さん。どうやら、自宅では数カ月ほど入浴していなかったのだとか。
施設では様々な方法で入浴を勧めるが、首を縦には振ってくれない。トシ子さんと楽しく会話していると“今日はお風呂行けるんじゃない?”という雰囲気になる。そんな雰囲気であっても「あなたとは、お風呂に入りませんよ。」の一言に何人もの職員が撃沈していった。しかし、トシ子さんの家族が残念そうに言う「やっぱり、お風呂は無理ですかね?」の一言が“何をおっしゃいますか。大丈夫ですよ。”と撃沈した職員を再び奮い立たせるのだった。
そんなやりとりが続いたある日のこと、トシ子さんが、ふと発した「知らない人の前で服は脱げません。旦那の前でしか脱げません。」という一言に衝撃を受けた。そりゃそうだ。誰しも、見ず知らずの人の前で裸になるなんて普通はできない。
よほど心を許した相手や信頼の置ける相手の前でないと裸にはなれないよね。僕たちは、そんな基本的な事を、忘れていたわけではないけれど、どこか軽んじていたのかもしれない。
トシ子さんの旦那は数年前に他界されている。僕たちは旦那にはなれないけれど、同じくらい心を許してもらえるような関係を築かなくてはならない。介護する側される側。そんな線引きをするから、ときどき、異常(知らない人の前で裸になる事)が普通に思えてしまう。まだまだ未熟なのだと思い知らされる瞬間だった。
~心に積み重なる様々な出来事を このコラムに寄せて~
先日からショートステイを利用されているトシ子さん。どうやら、自宅では数カ月ほど入浴していなかったのだとか。
施設では様々な方法で入浴を勧めるが、首を縦には振ってくれない。トシ子さんと楽しく会話していると“今日はお風呂行けるんじゃない?”という雰囲気になる。そんな雰囲気であっても「あなたとは、お風呂に入りませんよ。」の一言に何人もの職員が撃沈していった。しかし、トシ子さんの家族が残念そうに言う「やっぱり、お風呂は無理ですかね?」の一言が“何をおっしゃいますか。大丈夫ですよ。”と撃沈した職員を再び奮い立たせるのだった。
そんなやりとりが続いたある日のこと、トシ子さんが、ふと発した「知らない人の前で服は脱げません。旦那の前でしか脱げません。」という一言に衝撃を受けた。そりゃそうだ。誰しも、見ず知らずの人の前で裸になるなんて普通はできない。
よほど心を許した相手や信頼の置ける相手の前でないと裸にはなれないよね。僕たちは、そんな基本的な事を、忘れていたわけではないけれど、どこか軽んじていたのかもしれない。
トシ子さんの旦那は数年前に他界されている。僕たちは旦那にはなれないけれど、同じくらい心を許してもらえるような関係を築かなくてはならない。介護する側される側。そんな線引きをするから、ときどき、異常(知らない人の前で裸になる事)が普通に思えてしまう。まだまだ未熟なのだと思い知らされる瞬間だった。
2014年03月18日
「桜」
「桜」
~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~
卒業シーズン。懇意にしてもらっている保育所も卒所式。毎年、この保育所の卒所式には壇上に桜が飾られて、子供たちを祝福する大役を担っている。
壇上に飾られる桜は、私たちの施設の敷地にある立派な桜の枝を少しだけ拝借している。切ったときはつぼみでも、室内に入れていれば、その暖かさを春だと勘違いして意外と早く花が咲く。今年も桜を壇上に飾ると聞いて、早速、桜の枝を少しだけ拝借することになった。
今年は、3月に入っても寒い日が続いて、例年になくつぼみが小さかった。それでも、枝を拝借して、花瓶に挿して室内に入れ、暖房をガンガンに効かせて強引に花を咲かせようと試みた。デイサービスに来ているお年寄りも、「子供たちの為に咲かせますか?」と言いながら、桜の枝を挿している壺を擦ってみたり、壺の周りに集まって熱気で
温めてくれたり、ピアノを弾いて音楽を聞かせてみたり、ありとあらゆるパワーと方法で桜を咲かせようとしてくれた。
結局、今年は桜を咲かせることはできなかった。それでも、桜は卒所式当日に保育所の壇上に飾られ、子供たちを祝福していた。桜は咲かなかったが、卒所した子供たちは次の場所で大きな花を咲かせてくれることだろう。お年寄りたちが必死で咲かそうとしてくれたパワーは、桜を通じて子供たちに届いたはずだ。
~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~
卒業シーズン。懇意にしてもらっている保育所も卒所式。毎年、この保育所の卒所式には壇上に桜が飾られて、子供たちを祝福する大役を担っている。
壇上に飾られる桜は、私たちの施設の敷地にある立派な桜の枝を少しだけ拝借している。切ったときはつぼみでも、室内に入れていれば、その暖かさを春だと勘違いして意外と早く花が咲く。今年も桜を壇上に飾ると聞いて、早速、桜の枝を少しだけ拝借することになった。
今年は、3月に入っても寒い日が続いて、例年になくつぼみが小さかった。それでも、枝を拝借して、花瓶に挿して室内に入れ、暖房をガンガンに効かせて強引に花を咲かせようと試みた。デイサービスに来ているお年寄りも、「子供たちの為に咲かせますか?」と言いながら、桜の枝を挿している壺を擦ってみたり、壺の周りに集まって熱気で
温めてくれたり、ピアノを弾いて音楽を聞かせてみたり、ありとあらゆるパワーと方法で桜を咲かせようとしてくれた。
結局、今年は桜を咲かせることはできなかった。それでも、桜は卒所式当日に保育所の壇上に飾られ、子供たちを祝福していた。桜は咲かなかったが、卒所した子供たちは次の場所で大きな花を咲かせてくれることだろう。お年寄りたちが必死で咲かそうとしてくれたパワーは、桜を通じて子供たちに届いたはずだ。