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Posted by あしたさぬき.JP at

2015年11月27日

「建学の精神」

「建学の精神」

~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~

うちのデイサービスは、ちょっと違う。毎日3時限の授業があって、来られた皆さんは1日みっちりその授業を受ける。授業の内容は、国語や体育・音楽といった学校そのもの。
 皆さんが学生の頃に楽しみにしていたであろう家庭科の調理実習や給食の時間もある。美術の時間にはイタリアからお招きした特別講師の先生の指導を受けながら作品を作り、今どきのパソコンの授業もある。皆さんは、興味のある授業を自分で選び、熱心に授業を受ける。
 その中で最近ちょっとした異変がある。開校した今年の6月頃は90分の授業がもたなくて、途中で退室する人や居眠りしちゃう人が続出していた。「ちょっとおトイレに」何て言って、そのままエスケープなんてことも。どうなることか、と心配していたが、最近ではその90分間、トイレに行く人も居眠りする人もいなくなった。パソコンの授業では、慣れな
い手つきで一つ一つ確かめるようにキーを押し、何とかネット検索を目標に頑張っておられる。検索が難しくてもマウスでポチッとするゲームなら、とマージャンやオセロを楽しめるようにもなった。もちろんうちは介護施設なので、集まってくる人たちは何らかの介護を要する。けれど、うちは出来ないことを補うのは少しだけ。そのかわり、出来るよ
うになるための支援は惜しまない。それがうちの学校(デイサービス)の建学の精神だ。


  

Posted by syuri at 07:28Comments(0)介護編

2015年11月20日

「♪あったかいんだからぁぁ」

「♪あったかいんだからぁぁ」

~心に積み重なる様々な出来事を このコラムに寄せて~

いつもは、来られるとすぐに荷物を置いて、くつろぐ女性。荷物をどこに置いたか忘れてしまい、みんなで慌てて探す、なんてこともしばしば。ただ今日はいつもと違って大切そうに抱えている。外野からの「重いのに置いたら?」とか「そんなに大事な物が入ってんの?」とか「だんなの遺骨でも入ってんじゃないの?」とかいう冗談にもめげず、こちら
が何を言っても置こうとしない。あれ、そういえば…さっきみんなで作ったおやつがないぞ。いろいろ理由をつけてカバンの中身を見せてもらった。すると、お弁当箱が2つ、ちょこんと入っていた。何でも今日は家に孫が来るらしい。その孫にこのおやつを食べながらここでの出来事を話すんだって。来月の文化祭の為に一生懸命練習しているお歌の話や頑張って書いたお習字の話、みんなで作った今日のおやつの話。孫にこんなに楽しく暮らしてるよ、って話して聞かせてあげるらしい。
何だ、そうだったの。そんな事なら言ってくれればいいのに、って言うと、「一人暮らしの人がいるからね。これが私の気持ち」だって。
 いいよね、誰かを思いやる気持ち。


  

Posted by syuri at 07:00Comments(0)介護編

2015年11月13日

「月日を重ねる、ということ」

「月日を重ねる、ということ」

~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~

 私が通う職場の近くに神社がある。何段もある階段を上がった先に神様がいらっしゃるのだが、その階段を見るたび、私は祖母を思い出す。今でこそ道路が舗装され、車が通る道が整備されているが、昔は山の中にあった。小さい私は何度か祖母に連れられて、その神社をお参りしたことがある。うっそうと茂る木々に囲まれたその神社は子どもの私にはちょっと怖かった。
 お百度参り。そんな風習、今のご時世には少し似つかわしくないかもしれないが、祖母はその階段を何度も行き来し、無言で熱心に祈っていた。今思えば祖父の病気が早く治りますように、と願をかけていたに違いない。諸説あるようだが、このお百度参り、回数を重ねることで神さま、仏さまと顔馴染みになり、信仰心の篤さと願いの切実さを訴えてご加護を得る、と言われている。このお参りのおかげか祖父はその後、30年以上元気に暮らした。
 百度お参りする何てこと考えたことのない私には無縁のならわしだが、こんな風に年をとっていけた祖母を少し羨ましく思う。そしてそんな祖母に守られていた祖父も幸せだったに違いない。歳をとる、ということは月日を重ねる、ということで、日々の暮らしの延長にあるのだろう。私もいつか誰かの為に何かしよう、と思えるような毎日を過ごしていきたい。

     
  

Posted by syuri at 13:36Comments(0)介護編

2015年11月06日

「何だかな…。」

「何だかな…。」

~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~
ある日の事。
玄関のベンチに座って日向ぼっこしていると、車椅子を自分で操り男性がやってきた。その男性はとっても話し好きで、初めて会う私にも今までの暮らしや得意な事など、いろんな話をしてくれた。にぎやかな時間を過ごした後、ニコニコしながらその男性、私にこう言った。
「さっき、頑張って動いてたけど、お腹は大丈夫か」
…お腹?何の事でしょ?怪訝そうに見返す私に、その男性、笑顔で更に続けた。
「おるんやろ」と。
何ですと?…まさか妊婦にお間違えでしょうか。
「おらん、おらん」と返す私の顔は、今までにないく
らい引きつっていたに違いない。
 人と接する仕事は、出会った分だけ思い出が増える。良い事も悲しい事もあるが、何年経っても忘れることはない。因みに今日の出来事は私にとって、ホッコリした思い出として記録されていくことだろう。まあ、私の出産はあり得ませんが、それだけ若く見えたって事で、許してあげましょ。

       

Posted by syuri at 16:00Comments(0)介護編

2015年11月01日

「宣誓式・戴帽式」

「宣誓式・戴帽式」

~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~

ナイチンゲール誓詞
 われは此処に集いたる人々の前に厳かに神に誓わん。

 わが生涯を清く過ごし、わが任務を忠実に尽くさんことを。
 われは総て毒あるもの、害あるものを絶ち、悪しき薬を用いることなく又知りつつこれをすすめざるべし。

 われはわが力の限りわがつとめのしるしを高くせんことを努むべし。

 わがつとめにあたりて、取り扱えたる人々の私事のすべて、わが知り得たる一家の内事のすべて、われは人に洩らさざるべし。

 われは心より医師を助け、わが手に託されたる人々の幸のために身を捧げん。

 先日、訪れた看護福祉専門学校の宣誓式にて、ろうそくの灯に誓いを立てる看護学生たち、その、灯の先に何を願い、何が見えるのか。
 故郷を遠く離れ、香川の地で、学びをすすめる者、将来を見据え看護を志した者、わが子に夢を託した保護者、そして、日頃からともに学ぶ学生、教員それら皆が心を一つにした時であった。
 四月に出会ったころは、これから学ぶ看護への期待と不安、たくさんのテキストに驚き、講師の先生方の教示に必死にくらいつく。時には、ドッジボールや園児との交流に笑顔をみせたり。それも、これからの実習に生かされることでしょう。なにやら、急に大人びた様子に、寂しさも感じつつ、たくましく育ったこの半年余りを嬉しく思う。
 きっと今、灯したその明かりが、将来を明るく照らすことでしょう。迷いがあれば、今日の灯、誓いを思い出そう。
 さあ、歩みだそう。自らの夢へ。

     
  

Posted by syuri at 16:04Comments(0)健康新聞