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Posted by あしたさぬき.JP at

2015年05月29日

「ありがとう」って伝えたい。

「ありがとう」って伝えたい。

~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~

ある日のこと。昼食後、まったりとした雰囲気の中、ちょっと息を抜きながらのんびり過ごしていると、いきなり元気の良い子供たちの声が窓外から聞こえてきた。大きな声で何か叫んでいたその声は、突然可愛らしい歌声に!! 懐かしい童謡や今流行のあの歌を、時には楽器を使って演奏し、時には大きな声で歌ってくれた。その時間は4階に居た私の耳にも心地よく、今日のその日の為に一生懸命練習したのが手に取るように伝わってきた。
 その日は外国からお客様が来られる日だった。何年か前にも来られたその方たちは、自国で医療や高齢者に関わる仕事をしているらしい。施設に隣接する保育所に通う子供たちは日頃の英語の授業の成果を見せんとばかりにこの日を楽しみに一生懸命お歌の練習をしたという。もちろんお客様たちも大喜び。いつの間にやら握手を交わし「ハグ」までしている。以前の見学はただ施設を回り、その暮らしぶりを目で見、感じただけのものだった。けれど今回はそれに加え、実際にそこに暮らす人たちと触れ合い、言葉を交わし一緒に時間を過ごした。1日かけていくつか回ったお客様たちに同行した職員が帰ってきたのは午後5時過ぎ。その表情からも疲れが見て取れる。思わず「お疲れ様でした」と声をかけたが、思いもかけない言葉が返ってきた。「疲れたけど嬉しかったです。以前見学に来られた後、自国で同じような施設を作ってくれたんです。感動しちゃって涙が出ました。」…今日は何ていい1日だろう。子どもたちの歌も外国からのお客様も職員の言葉も…こっちが涙出ちゃったよ。

  

Posted by syuri at 16:19Comments(0)介護編

2015年05月22日

名前の由来

「名前の由来」

~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~

最近ある人に「侶っていい名だねえ」と言われた。
 「侶」は訓読みで「とも」と呼び、高松市のはずれにある小さな施設の名前だ。一度ではなかなか読んでもらえず、漢字を説明するときは必ず「伴侶の『りょ』です」と説明する。私はこの名前が、とっても好きだ。そう言われて、ふいに名前を考えていたその当時のことが思い出された。
 一般的に「伴侶」は配偶者のことを指すように思われがちだが、この漢字には一緒に連れ立って行く者、つれ、なかまという意味も含まれている。家族のもとを離れ施設で過ごす人たちに、多くの人たちと出会い共に暮らす中で、お互いを伴侶のように感じ、かけがえのない存在になって欲しいと願い名づけた。そんなことを思い出していると「侶」に行ってみたくなった。着いた時刻は土曜の昼過ぎ、ちょうど朝から開いていた野菜の朝市を閉店し、一仕事を終えた休息の時間だった。朝からかいがいしく働いたからか少し疲れ気味の男性。そんな男性に冷たいお茶を差し出す女性。無愛想でぶっきらぼうだけど、相手を思いやる視線はどこか温かい。その様子はまるでどこかの熟年夫婦のようで少しほっこりした。もちろんこの二人、「侶」で出会う前は赤の他人。1年前から「侶」で過ごすようになり、喧嘩したり労わりあったり、笑いあったりしながら共に過ごしてこられた。二人は確かに「他人」だけれど、過ごした時間は短いけれど、もう決して他人ではなくなっていた。やっぱり「侶」って名前にして良かった。「侶」は「共」で「友」で「かけがえのない者」なのだ。











  

Posted by syuri at 14:10Comments(0)介護編

2015年05月15日

贈り物

「贈り物」

~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~

毎年この時期になると通所介護を利用している皆さんは、何だか忙しい。関係する保育所の子どもたちが大きな舞台で踊るのだ。総勢40名近くのちびっこの身長や手の長さを測り、一人ひとりの背丈にあった着物に縫い直してあげる。そしてよく頑張ったね、と手作りのご褒美の品も用意する。3回目となる今年は何にしようかな…。
 来られている皆さんに相談したところ、今年は色とりどりのおもちゃになった。相談を持ちかけると、目を輝かせながら、いろんな話を始めた。昔の遊び、小さい頃の想い出、何を作るか、どうやって作るか、どうやって材料を集めるか。皆さんの頭の中はもう既に子どもたちにそのご褒美を差し出した時の喜ぶ笑顔でいっぱいのようだ。そしてどんどん話を進めた。そんなに大勢に配るなら急がないと、と一気に材料の段取りまで始めた。
 既成のおもちゃに比べるともしかしたら形もいびつで、どこか物足りなく感じるかもしれない。けれど賑やかにおもちゃを作り始めた皆さんの活き活きとした顔を見ていると、一生懸命作った気持ちが込められたそのおもちゃをとっても喜んでくれる気がした。
 さあ、本番まであと2週間。ご褒美作り、頑張ろう!!ついでに、ちびっこたちもお稽古頑張ろうね。



  

Posted by syuri at 10:12Comments(0)介護編

2015年05月05日

自慢の姉さん

「自慢の姉さん」

~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~

私のずっと遠縁の叔母は何年か前から介護が必要な状況になっている。お裁縫が得意で料理も上手くとっても綺麗な人である。久しぶりにお部屋を訪ねてみると私を見たとたん、満面の笑みを浮かべ優しい声で私の母の名を呼んだ。
認知症を発症すると記憶があいまいになって、大切な人の名前がすぐに出なくなったり、ずっと長い間一緒に暮らした人が分からなくなったりするという。それはお互いにとってとても辛く悲しいことかもしれない。叔母は私を見て何の迷いもなく母の名を呼んだ。叔母は私を私の母だと思ったのだろう。優しく話しかけてくれる叔母に私は「こんにちは、姉さん」と笑い返した。小さい頃から兄弟のように育った母は叔母の事を「姉さん」と呼んでいる。ほんの数分過ごしただけだったが部屋を出た後、私は何故か心がほっこりしていた。私の面倒も見てくれていたけれど、私のことなど忘れてしまっていたのに、悲しいどころか嬉しかった。私のことは忘れてしまっても私の母のことは覚えてくれている。いや私を母と勘違いするぐらいなのでその記憶も怪しいかもしれない。けれど母と過ごした記憶は間違いなく叔母の心に残っているのだ。それでいい。それで充分。記憶は心の中にある。


  

Posted by syuri at 08:18Comments(1)介護編

2015年05月01日

幸せを呼ぶ葉っぱ


「幸せを呼ぶ葉っぱ」

~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~

 あるテレビ番組で四葉のクローバーについての特集コーナーが組まれていた。何の気なしにその番組を見ていた私は2年前のふとした出来事を思い出した。
 長年会社の社長さんをされていたその男性は施設に来られても仕事が気になって仕方がない。来られて1時間もすると、「では私はこれで」と帰ろうとされる。帰りたいのを止めるとますます帰りたくなるので、そんな時は一緒に外に出て庭の草を抜く。
 その日も私はその男性と一緒に草を抜いていた。いや正しくは草を抜くふりをして四葉のクローバーを探していた。男性はというとどんどん抜かれた草が大きく積まれている。今まで一度も四葉のクローバーを見つけた事のない私は、ほとんど諦めながら、それでも幸せになりたい一心で一生懸命探していた。すると、なんと目の前に四葉のクローバーが!! 男性の大きな手の中でそよそよと葉っぱを揺らすその姿に、ただただ興奮した。そう、四葉のクローバーを見つけたのはその男性で、私ではない。私が草を抜くふりをしながら四葉のクローバーを探しているのを知っていたその男性は、笑顔でそのクローバーを私にくれた。
 認知症になると難しい事は覚えていられなくなってしまうように思われがちだが、クローバーが幸せを呼ぶ葉っぱだって事、この庭にクローバーが咲いているという事、どんな形が四葉のクローバーかって事、あげればきりがないほどいろんな事をこの男性は覚えてくれている。それだけでこの葉っぱは私に幸せをもたらせてくれた。 


  

Posted by syuri at 13:34Comments(0)介護編