2015年11月13日

「月日を重ねる、ということ」

「月日を重ねる、ということ」

~心に積み重なる様々な出来事をこのコラムに寄せて~

 私が通う職場の近くに神社がある。何段もある階段を上がった先に神様がいらっしゃるのだが、その階段を見るたび、私は祖母を思い出す。今でこそ道路が舗装され、車が通る道が整備されているが、昔は山の中にあった。小さい私は何度か祖母に連れられて、その神社をお参りしたことがある。うっそうと茂る木々に囲まれたその神社は子どもの私にはちょっと怖かった。
 お百度参り。そんな風習、今のご時世には少し似つかわしくないかもしれないが、祖母はその階段を何度も行き来し、無言で熱心に祈っていた。今思えば祖父の病気が早く治りますように、と願をかけていたに違いない。諸説あるようだが、このお百度参り、回数を重ねることで神さま、仏さまと顔馴染みになり、信仰心の篤さと願いの切実さを訴えてご加護を得る、と言われている。このお参りのおかげか祖父はその後、30年以上元気に暮らした。
 百度お参りする何てこと考えたことのない私には無縁のならわしだが、こんな風に年をとっていけた祖母を少し羨ましく思う。そしてそんな祖母に守られていた祖父も幸せだったに違いない。歳をとる、ということは月日を重ねる、ということで、日々の暮らしの延長にあるのだろう。私もいつか誰かの為に何かしよう、と思えるような毎日を過ごしていきたい。

「月日を重ねる、ということ」     


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